「世界のソフィアンから Vol.1」 ロイターNYテレビ報道記者・我謝京子さん

「世界のソフィアンから」

 

ニューヨークで活躍するソフィアンに、現地在住サークルOG(初代編集長)の検見崎がインタビュー。「世界へ羽ばたきたい」という夢を持った現役生へのメッセージを届ける企画です。

 

ロイターNYテレビ報道記者の我謝京子さん

記念すべき、第1回。お話を伺ったのは国際メディア「ロイター」でテレビ報道記者を務める、我謝京子さん。パワフルでとっても素敵な女性です。オフィスがあるのはタイムズ スクエアの中心地。電子広告の大画面に囲まれた活気ある通りを歩き、ロイターニューヨークのオフィスへと向かいました。

 

 

Vol.1 我謝京子さん

プロフィール
1987年上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。1987年、テレビ東京に入社。2001年、ニューヨークのロイターにテレビ報道記者として赴任。映画監督としても活動し、日本人女性の視点を世界に届けるドキュメンタリー映画を発表している。

 

 

 

〜現在のお仕事〜

ロイターのテレビ報道記者。毎日株式市場をレポート。

 

──今のお仕事について教えてください。

月曜日から金曜日までは、アメリカの株式市場のその日の動きを、オフィスのワンブロック先にあるナスダックからレポートしています。その時に読む原稿を書き、映像を自分で編集してTBSニュース、Yahoo Japan、株ドットコムなど様々なメディアに送っています。

そして週末に向けては、「ロイタービジネスウィークリー」という約10分の番組を制作しています。この番組ではその週にニューヨークで注目を集めた3本のニュースを取り上げます。伝えるネタを吟味して取材し、映像を編集。金曜日は14本の締め切りがあるので毎週大忙しです。

テレビの仕事って出る側と制作側の境界線があまりないんですよね。取材現場によって、自分が画に写り込んだ方がいいなという時は入るし、自分はカメラの後ろにいた方が良いなという時は出ない。それは現場の判断で決めています。

 

──勤務時間はどれくらいですか。

ロイターニューヨークの記者は7時間労働が基本です。私の勤務時間は10時半から17時半まで。冬は11時から18時です。お昼はデスクで食べて、時間内に仕事を終わらせる記者の姿が目立ちます。

 

 

~大学生活~

夢中になった英語劇。3年生でアメリカへ留学

 

──大学時代に没頭していたことはありますか。

私は在学中の4年間ずっと、英語劇をやっていました。当時あったソフィアモデルプロダクション(SMP)という、英語学科教授のメイソン神父が率いる英語劇サークルに所属していました。その活動を通じて「私は体を使って、人にものを伝えるということが好きなんだな」ということが分かったのはすごく良かったです。

今の仕事も腹筋を使って、声を出して体で情報を伝えます。また、今でも自分で書いた原稿を現場で暗記して伝えるのですが、その暗記力は英語劇で身につけられたと思います。アメリカの記者の中にも、学生時代に演劇をやってた方がすごく多いですよ。

 

──大学時代に留学はしましたか。

大学3年生の時に1年間留学をしました。イスパニア語学科でしたがスペイン語圏ではなく、アメリカに留学しました。なぜかというと、アメリカに留学すれば、英語もスペイン語も、興味のあるジャーナリズムも勉強できるし、英語劇もできる。一石四鳥くらいだなと思ったからです(笑)。そして交換留学で1年間マサチューセッツ州立大学アマースト校へ留学しました。

 

──やはり留学はした方が良いですか。

もちろんです。なぜなら、とくに今の時代だから。今はネット社会で、なんでもネットで調べて分かった気になってしまうでしょう。ググったら、すぐに答えが出てくる。でも検索して出てきた情報というのは、誰かの手垢がついた情報。旅行記だって留学体験記だって書いた人の体験だけであって、あなた自身の見方ではない。「自分はどう感じるか」「自分はどう思うか」というのは、現場に行って初めてわかることです。だから、もちろん留学も行った方が良いと思います。

私は取材の時も、聞きたいことはたくさん準備しますが、事前台本は用意しません。他の人が取材した記事を読んでも、それはその人が聞いた時の答え。取材をする人によって同じ人の中から違う側面が出てくる。だから、私は現場主義です。

 

──上智に入学した際の英語力について。

高校3年生のとき、オレゴン州に1年間留学して、だいぶ英語は上達しました。当時インターネットはありません。そして1ドル200円の時代だったので、国際電話は高価すぎてクリスマスプレゼントでした。だから留学すると、本当に日本社会から遮断されてしまうんです。でもそれは英語の上達にはとても良いことでした。

 

──大学時代にやっておけばよかったと後悔していることは。

それは、もっとスペイン語を勉強しておけば良かったということですね。まさか今後の人生でこんなにスペイン語を使うとは思いませんでした。ペルー大使公邸人質事件取材のときも使いましたし、映画の取材でも使っています。もっとスペイン語が喋れたら、もっと深い取材ができたのになと思います。でも当時は演劇に没頭していたから、それはそれで良かったと思うんですけどね。ただ、勉強は学生時代だけでなくて、一生するものなので、今でもコツコツ英語やスペイン語の勉強は続けています。

 

──就職活動はどのようにしましたか。

4年生の6月に留学から帰ってきて、就職活動をスタートしました。

留学している時にジャーナリズムの授業で、新聞記者とテレビ記者の2つのクラスを受講しました。両方とも面白かったのですが、私は演劇のようにチームで作り上げるものが特に好きでした。書く仕事は一人で取材に行って書いて、一人で行う作業が多いです。

でもテレビの世界は、今はもっと人数が少ないこともありますが、当時はカメラマンと音声さん、照明さん、報道記者の最低でも4人で取材に行く。グループで作り上げるところがすごく面白そうだし、私の性格に合ってるんじゃないかと思ってテレビ業界を目指しました。結果、テレビ東京に入社し、報道局経済報道部に配属されました。

 

 

〜卒業後のお仕事〜 

新卒でテレビ東京に入社。報道の仕事に魅せられる。

 

──テレビ東京ではどのような仕事をされましたか。

最初は「ビジネスマンニュース」というニュースを担当しました。そして1991年には、フルブライト・ジャーナリストとしてミシガン大学に留学。帰国後は同じくテレビ東京で、外務省の記者クラブに配属となりました。在ペルー日本大使公邸占拠事件では、現地に1ヶ月ほど滞在して取材を続けました。人質救出作戦の現場で目撃した現実は、銃声や爆発音とともにいまも頭に焼き付いています。そして帰国後は、特集やドキュメンタリー番組を作る部門に入りました。仕事大好き人間で、深夜2~3時まで、あたりまえのように働いていましたね。

 

──ニューヨークで働くことになったきっかけとは。

26歳で結婚して、29歳で出産、娘を授かりましたが、仕事が忙しく、子育ては保育園と母、ベビーシッターさんと皆で分業化して乗り切りました。しかし、子どもが6歳くらいになったとき、急にぶわ~っと母性が出てきて。もっとこの子と一緒にいたい、母親として今後どうしたら良いのだろうと悩みました。そして希望を出して忙しい報道局から別の部に異動させてもらったんです。

その異動で子どもと居る時間はできましたが、違う仕事をやることで「やっぱり自分は伝える仕事が好きなんだ」と再確認させられました。そこで、昔から目指していたニューヨークで働きたいという気持ちが強くなっていきました。そんな時にちょうど、ニューヨークのロイターからテレビ記者の仕事の話をいただいて、2001年春に赴任してきました。37歳で、娘と二人でニューヨークにやって来たんです。

 

世界経済の中心地・ニューヨークから発信し続ける

 

 

〜ニューヨーク〜

娘と二人で新天地NYへ。同年に9.11が起こる

 

──2001年ということは同時多発テロ攻撃の年ですよね。

はい。2001年の春に来て、9月に9.11が起こりました。被災して、7回くらい引越しを繰り返して、娘も何度も転校しなくてはならず、大変でしたね。

 

──その時、日本に帰ろうとは思わなかったですか。

娘と一緒に新しい人生を切り開こうと意を決して来たのに、すぐに帰ったら、ニューヨークにも自分にも負けることになると思いました。だから絶対に帰りたくなかった。その大変な時に私たちを助けてくれたのが、ニューヨークで頑張る日本人女性たち。被災後、借りていたワールドトレードセンター前のアパートは侵入禁止地区になってしまったので、着る洋服もありませんでした。その女性たちが、私を励ます会を開いてくれて、洋服をくれたり、貸してくれたりしました。

その時に、どうしてその女性たちは日本ではなくてニューヨークで働くことを選んだのかなと思いました。それがきっかけで作ったのが、彼女たちを取材した「母の道、娘の選択」というドキュメンタリー映画です。これは、米国はもちろんアジア、アフリカの映画祭でも上映されました。その後ニューヨークにある配給会社がこの映画を気に入ってくれて、現在アメリカの大学のアジアスタディや、ウィメンズスタディの授業で使われています。

 

──映画監督としての活動もされているんですね。

「母の道、娘の選択」が1本目で、2本目には、東日本大震災後の日本でたくましく生きる女性の姿を描いた「3.11:ここに生きる」を製作しました。そして3本目の映画は「ハポンさん」。

2本目の映画をイスパニア語学科の後輩たちがスペイン語で字幕を付けてくれました。そして同じくイスパニア語学科の後輩でバルセロナに住んでいる友人が取り仕切って2013年にバルセロナの映画館で上映会を開催してくれました。その年はちょうど支倉常長(はせくらつねなが)がヨーロッパに渡航した年から400周年。慶長遣欧使節団400周年の記念事業の一つになって、彼女のお陰で感謝状をいただきました。

それがきっかけで慶長遣欧使節団や支倉常長のことを調べていくうちに、一本の映画になっていきました。それが4年ほどかけて出来上がった映画「ハポンさん」です。スペイン語の「ハポン」は、日本語で訳すと「日本」です。ハポンを苗字に持った人たちは、私が取材していた人口約3万人のコリアデルリオという町に600人以上いるのです。この地でこの苗字は、慶長遣欧使節団のメンバーでスペインから、なんらかの事情で日本に戻らなかった日本人の子孫たちの苗字だと言われています。

 

──アメリカで働いて感じる日本との違いはありますか。

日本の企業は基本的に年功序列。ですから自分のことをアピールしなくても、年齢が上がれば肩書も付いてくる。でも、アメリカの会社では毎年どのように目標を達成したかということを、きちんと上司にアピールしないといけません。

そしてこれは私個人が感じることですが、ロイターニューヨークの記者は副業が認められているため、映画の製作にも没頭できる。日本に居たときよりも今の方が本業以外のこともできて、人生を2倍楽しめている気がします。

 

──正直、英語はもう完璧ですか?

英語の勉強は今でも毎日しています。日本語のニュース原稿を書く際、多くの英語情報に目を通しますが、毎日のように新しい単語を目にします。英語の世界の深さを日々感じています。

 

──英語の勉強で今やっていることを教えてください。

わからない単語や文章はすぐに調べます。どうしてもニュアンスがわからないときにはアメリカ人の同僚に助けを求めることもあります。何の勉強でも、苦労して理解できたときは快感ですね。この仕事をしていて一番恐ろしいことは、わかったつもりになってしまうこと。わからない言葉や文章は、その場ですぐ調べたり聞いたりして、その言葉の本質に近づけるようにしています。

 

〜人生観・現役生へのアドバイス〜

モットーは、「3.11:ここに生きる」。二度とない今を大切に。

 

──座右の銘を教えてください。

私の映画のタイトルでもあるんですが、いつも「3.11:ここに生きる」と思って生きています。3.11も9.11も大変だった。でも、どんなに心配をしても、いつまた地震やテロが起こるか誰にも分かりません。もう被災前の生活には戻れないし、未来も予測できない。

ただ、わかっていることは、「今この瞬間は、ここで生きている、生かされている」ということ。今、この瞬間はもう二度とありません。だから、今の瞬間瞬間を大事に生きようというのは、自らが9.11で被災して、神戸や東北を取材したからこそ、強く思うことです。

 

──我謝さんにとってニューヨークの魅力とは。

ニューヨークはやっぱり空気が違います。それは、「自分で責任が取れるなら、なんでもやっていいよ」っていう空気。迷った時に、「やってみた方が良いよ」と背中を押してくれる街だから、ニューヨークに惹かれるんでしょうね。

 

──将来海外で活躍したい上智生にアドバイスをお願いします!

自分が海外のどこかの街に興味を持ったら、学生時代にぜひ一度行ってみてください。なんでその街に行きたいのか、自分の体で感じることが大切です。

私も初めてニューヨークに来たのは、マサチューセッツに留学中の21歳の時。1980年代だったので、当時は汚くて危険な街。タイムズスクエアは、強い異臭がしたのを覚えています。それでも、なんか面白い街だなって感じました。そして、テレビ東京に入って最初の海外出張もニューヨーク。そこでもまた、ニューヨークってやっぱり何でもありで面白いなと思ったんです。

私はよく日本の若い人たちに言うんですが、やろうかどうか迷った時には絶対にやってみた方が良い。それは今まで55年間生きてきて、すごく感じることです。すべてにおいて、やらないよりも、やった方が良かった。失敗したことも、もちろんたくさんありますが、やって失敗したから納得できる。あの時やっていたらどうなっていたかなと考えても、もうその時には戻れないから。皆さんもぜひ、「迷ったらやる」を実行して、挑戦を恐れない人生を歩んで行ってくださいね!

 

 

 

 

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投稿者: 検見崎(けんみざき)

検見崎(けんみざき)
2012年総合人間学部社会学科卒業。アリオーゾOG(初代編集長)。「第2の人生を始めるわ」と、2018年6月渡米。東京、ニューヨークともに出版社で勤務。2013年よりニューヨークソフィア会の広報担当を務める。
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