前回のやつです。気がついたら第一話が1位になっていました。ありがとうございます。
『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』。
川端康成『雪国』の有名な冒頭です。電車に乗り、トンネルの中でぼーっとしていると突然景色が晴れ、一面の銀世界。そんな景色に少し驚くと、いつの間にか電車が止まっている。そんな情景です。旅の情景が凝縮された一文だと思います。
私の場合ですか?
8/27 北海道苫小牧市~函館市(ニアピン) 230km
8月27日、午前6時。私は、焦りまくっていました。
フェリーは午前6時に北海道苫小牧市に到着します。
私は午前6時に起床します。
ボッサボサの髪のままヘルメットをかぶり、荷物を大急ぎでまとめ、フェリーを出ます。
案の定私が一番最後の降者だったみたいで、方々に「すみません」「すみません」と謝りながら大慌てで北海道の地を踏みました。
ああ、答え合わせをしておきましょうか。
私の場合、『朝起きたら北海道に着港していた。』です。
なので苫小牧市での写真は一切ありません。大慌てだったので。ちなみにガソリンも残り1Lを切っていました。何一つ準備がなってません。
わたしの北海道2400kmの旅路は、こうして始まりました。
ここで、少しだけ北海道の歴史について触れていきましょう。(スキップ推奨)
維新を成し遂げた明治政府は北海道という石炭の塊に大きな可能性を感じていました。1869年(明治2年)に開拓使が設置されて以降、戊辰戦争で敗北した旧会津藩士、仙台藩士などの入植をはじめ、日本全国の和人がこの過酷な亜寒帯の大地に引っ越してきました。
日本で最初の鉄道は新橋~横浜間。2番目は大阪~神戸。3番目はここ、北海道です。それほど明治政府は、この「天府の地」に大きな可能性を見出していたのです。
明治政府は東京や大阪という都会で民衆に鉄道の有用性をこれでもかと知らしめたあと、北海道の石炭輸送という目的で本格的に運用を開始しました。
北海道では石炭が取れます。石炭が燃料の主力だった19世紀、北海道は日本の生命線でした。
そんな北海道も、戦後のエネルギー革命で石炭の需要が石油に移り変わると、北海道の需要も薄まり、人口は札幌、旭川などの大都市へと吸収され、今や道民の2.7人に1人が札幌市民、ほぼ2人に1人が札幌都市圏の住民という自体に。元々炭鉱都市だった街なんて悲惨そのものです。ね?夕張市。
(スキップここまで)
とりあえず、ガソリンを入れたあとはいきたい場所の一つであった『ウポポイ』に足を運びました。私の友人(元道民で現在は埼玉県民)がメチャクチャにネタにしているので、ちょっと行ってみたかったのです。
朝が早すぎて空いてませんでした。何一つ準備がなってない。
なので逆立ちしておきました。
関東平野に住んでいる私は、「都市の切れ目」というものをあまり想像することができません。切れ目がないので。
しかし、北海道の都市には明確な「切れ目」があります。この都市や集落から外れた場所には、原野が広がっているのです。人の手が加えられていない、何もない土地。普段道民が何気なく通っている道が、私にとっては新鮮なものでした。
その後は室蘭市へ。
室蘭は道内でも有数の工業地域で、人口密度は道内最高、人口も16万人!
だった時期もありました。
現在は苫小牧市の発展や札幌への一極集中にやられ、人口はいつの間にか苫小牧市に抜かされ、2005年には人口が10万人を割りました。まあ、財政は道内でも豊かな方ですが。
お腹が空いたので道の駅『あぷた』にて昼食。今日のお昼はホタテカレー。
前は海、後ろは洞爺湖。最高のロケーションでした。でも写真がありません。なんで?
で、どんどん進みます。マジで信号が一切ないので、撮影なんて忘れて思いっきりデカい国道をぶっ飛ばし(飛ばさないと後ろの車に轢き殺される)、
気づけば函館の手前まで来ていました。ここから函館に入ってしまうのも全然いいのですが、私はみんなと同じことを死んでもしたくない逆張りオタクです。
函館の手前にある、「東大沼キャンプ場」にて一泊することにしました。
はっきり言いましょう。日本中のどんなキャンプ場を寄せ集めても、このキャンプ場に適う所は無いんじゃないかと思います。
まず、無料で泊まれます。この時点で私のような貧乏旅人は涙を流して喜びます。そして、無料なのに基本的な設備は全て揃っています。
スーパーは近くにないのでちょっと不便ですが、薪などの最低限のものはホームセンターに売っていますし、10km弱走ればセイコーマートがあるので最低限の食料も揃う。(北海道では1kmあたり1分で所要時間を計算します。ちなみに東京では車で10km走るのに30分くらいかかります。それだけ北海道は信号がなくて道が広い)
何より夕日が綺麗。一日の仕事を終えた太陽が見せる光によって、北の大地は燃えるような赤に染まっていきます。シャッター越しでは言い表せない、自然の神秘を感じます。
夜になれば満点の星空が見えます。私はこの日、生まれて初めて”満天の星空”というものをこの目で見たのです。東京の排気ガスで霞んでしまった私の両目を、北海道の冷たくもどこか優しげな夜風が晴らしてくれました。
そして北海道民は旅人にあまりにも優しすぎます。
私はこのキャンプ場で設営をしていたとき、一人で大量の荷物をせこせこと運んでいる姿を見て、私の隣で設営していた老夫婦が、
「手伝おうか?」
と、マジで有無を言わせずに設営を手伝ってくれました。そのご夫婦と夜は流れで一緒にご飯を頂いたのですが、私も夕飯の食材があるのに、「若いんだから」とニラ炒めを大量にごちそうしてもらい、道内のいろいろな話を聞かせてもらい……と非常に良くしてもらいました。
私が埼玉から東北を縦断してここまで来ている、と話すと「埼玉……ってどこ?」「こんなに若いのに」「君みたいな行動力のある人は全国探してもそうそういない」「内地に戻ったら1年は自慢していい」「お金は大丈夫?いくらかあげるよ(流石に断った)」など、人生でもそうそうないくらいにベタ褒めをされてしまいました。北海道を一周すると自己肯定感がクソ高まります。
道民に優しくしてもらった経験は何もこれだけではなく、2週間弱いた北海道の旅では、一日一回以上は「どこから来たの?」と言われ、応援を頂いたり、ご飯をもらったり、道内のおすすめスポットを教えてもらったり、挙げ句には「君が起業したら1000万円出す」と言ってくる人もいました。なぜ?
朝になればキタキツネがお出迎えしてくれます。このころのキタキツネに対する私の認識はまだ「かわいいやつ」くらいの認識ですが、北海道にいる時間が長くなればなるほど、道路で堂々と寝てたり俺の朝飯を盗んだりで「畜生の分際で生意気だな……」となっていきました。最低
ここを出る際には私と同じ埼玉県南西部(所沢地方)から来ている旅人さんとも仲良くなり、話が進むにつれて町内会まで同じところに入っていることが判明して二人で大爆笑しました。世界って狭いですね。
8/28 北海道函館市~江差町 230km
とにもかくにも、まずは函館観光です。
函館は道内人口3位の大都会。24万人という人口は、東京都文京区とか長野県松本市と同じくらいです。平たく言えば「都会」です。
ですが、この後に出会う、函館近郊に住む方の話によれば「クソ寒すぎて何もする気がなくなる」街だそう。バイクは雪が降るから大体半年ほどしか乗れず、バイクを「冬眠」させないといけないらしいです。私は関東平野の西端、埼玉県秩父市で生まれ育ちましたが、雪こそたまーーーに降りますがバイクの冬眠はしません。
函館はきれいな街で、中心街なら何処を撮っても写真映えします。
が、
時間がないので早々に立ち去りました。また行きたいです。
さて、みなさん北海道のご飯といえば何を思い浮かべますか?
海の幸や山の幸、巨大な牧場から取れる乳製品や野菜……
ですが、限界旅行オタクにとっての北海道のご飯は、
セイコーマートです。
そこそこの量の焼きそばが300円だったり、
サラダに至っては118円です。私には金がないので昼食は基本的にセイコーマートでした。つまんなそうでしょ?楽しいですよ
そのまま北海道の津軽海峡沿いを走ります。海峡の荒波からくる冷たい潮風に煽られながら、ゆっくり着実に歩を進め、
北海道最南端、白神岬に到着。
そのまま渡島半島を一周します。
渡島半島、というか左下の松前半島には「松前氏」という戦国大名がいて、江戸時代には松前藩として存続しました。この家はアイヌとの交易独占権を得て暴利を貪っていた藩です。
そんな松前藩の建てた城が松前城です。北海道唯一の天守閣なんじゃないでしょうか。
ここからさきも渡島半島をひたすら海沿いに進みます。。左に津軽海峡、右には北海道の大原野。この光景は北海道を旅するうちに慣れていきますが、関東平野に帰ってきて、あれは異常な光景だったんだな、と思います。
途中で道の駅に寄って地元産の魚と地酒を買い、本日の宿泊先へ。
それが北海道江差町、かもめ島キャンプ場です。無料のキャンプ場です。このキャンプ場は、とにかく「キツイ」のひとことです。
まず、駐車場からキャンプ場まで1kmくらいあります。つまり、20kgくらいある重いキャンプ道具をセコセコと1kmも運んでいかないと行けない、ということです。
そして苦しいことに、キャンプ場までに階段が200段くらいあります。
しかし、この階段を上った先のだだっ広い平原と、このかもめ島から見ることのできる夕日には、圧巻のひとことでした。私は一日の中で夕方が一番好きなので、やはり夕日を美しく見ることのできる場所には惹かれるものです。たとえ階段を200段登っても。
そのままテントを張り、ご飯を食べて就寝。帰りは階段を二往復しました。
8/29 北海道江差町~泊村 220km
北海道はでっかいです。そして、普通にちゃんと田舎です。
何が言いたいのかというと、
この日のデータがほとんど消えていました。
なんで?どうしてこうなったのかは分かりません。ですが、この日の写真はほとんど残っていませんでした。
たしかに、かもめ島キャンプ場で私は午前11時くらいまでゆっくりしました。スタートは遅かったです。しかしこんなにも写真が残っていないと、ちょっと落ち込みます。
写真があんまりないので文章でどうにかしましょう。かもめ島を出て日本海沿いをひたすらに走り抜けます。
北海道の旅で一番つらかったこと、それは「風呂がない」ことです。入ろうと思ったときに温泉がなく、逆に「今は風呂じゃないかな」ってときに銭湯がふと現れ、「あッ!!!!!」とデカい声を上げているうちに、銭湯は私の横をすりぬけてサイドミラーのむこうへと写ってしまうのです。風呂入れオタク!という悪口がありますが、当時の私はこの悪口を体現していました。
「風呂入れオタク!」。みんなで唱和しましょう。
そんな感じで私は、3日間風呂に入れていませんでした。読者の女性陣からは一気に顰蹙を買ったことでしょう。あ~あ。
幸いにも体拭き用の使い捨てタオルがあったので、それで3日はしのいでいましたが、そろそろ限界が近づいていました。髪の毛は油を吸ってほうれん草のお浸しみたいにしんなりしていましたし、顔にはニキビがポツポツと出てきました。全身に油のベールのようなものをまとっている感覚です。
「風呂に入りたい」
当時の私の脳内を支配していたのは、ほぼそれでした。
また当時、私はコンビニの店員さんくらいとしか話していなかったので、必然的に独り言が増えていきます。ここらへんから、私は頭で思ったことをそのまま口に出すようになっていました。これは偏見ですが、旅人って独り言多いですよね。やっぱり、ずっと一人だと頭おかしくなるんでしょうか。
そんな感じで本日の野営場に到着しました。北海道泊村、盃野営場です。
何といってもこのキャンプ場、近くに風呂があるんです!!!!
なので風呂に入りました。3日ぶりの風呂は、格別のひとことでした。
このキャンプ場、どうやら5月にクマが出たみたいで私はガチビビリをかましていたわけですが、夜中にこのキャンプ場の管理人の方がここに訪れて、北海道の動物について色々教えてくれました。
5月はクマが出やすい時期らしく、寒暖差が激しいため島民から目覚めたクマが人里に降りてきてしまうらしいです。最近、北海道で釣り人がクマに襲われるニュースがありましたが、5月の北海道では割とあることだそうです。
クマ対策で重要なことは、未舗装の道路には近付かないこと、らしいです。ヒグマにとっても人間は恐怖の対象らしいので、バイクの音を常に出しているのがいいらしいです。
この管理人さんにも非常に良くしてもらって、この先に寄るキャンプ場や民宿は、この盃野営場の管理人さんに教えてもらったところです。本当にありがとうございます。
長くなったので一旦このあたりで止めましょう。次も早く書きます。もう書き始めます。
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