「なにかデカいことを成し遂げてェんだよな~」
ふんわりしすぎたこの欲望を具現化したのは、北海道への旅路の3日前でした。ちょっと言動が『チェンソーマン』のデンジっぽいですよね。違う?そう……
元々、一年前くらいから北海道自体には行こうかと思っていたんですが、日程を決めないまま8月が終わろうとしていたため、「よし!」と自分にムチを打って出立したわけですね。
ダイソーとドンキで必要なものを買い揃え、無理やりバイクに押し込み……
私の17日間に及ぶ、総距離3450kmの旅は、このような軽い感じでスタートしてしまったのです。
8/24 埼玉県和光市→宮城県仙台市 350km
朝3時。眠い目をこすりながら出発します。
埼玉県和光市。「東京メトロ」の通る埼玉県の駅を有する街です。これをダシに、和光市民は自分のことを東京都民であると言い張っていますが所詮は埼玉です。身の程を弁えましょう和光市民。
和光市から『東京外郭環状道路』
,通称『外環道』という高速道路……の、下にある下道を通ります。
なぜ高速道路に乗れないかというと、
私のバイクそのものが高速道路に乗れないから。
そう、いわゆる原付です。(正確には原付二種といって、時速60キロまでスピードが出せるやつなのですが、美しく麗しい上智大生はバイクのことなんざ微塵も知らねえと思うので割愛)
国道4号線、東北道に入ります。国道4号は東京・日本橋から青森県青森市までを繋いでいます。江戸時代から続く江戸五街道の一つで、そして日本一長い国道としても知られています。
そしてこの国道4号線、ヤバい部分があるんです。
それは、埼玉県春日部市以降から栃木県宇都宮市までを繋ぐクソデカ道路、新4号国道。
通称「関東のアウトバーン」。
私のバイクは荷物を詰めすぎているので、時速70kmも出したら、エンジンから「いや死ぬんだがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」みたいな音を出します。
この道路のヤバいところは、「あおり運転が合法化されている」こと。
法定速度の通りに走ったらほぼ間違いなく轢き殺されます。この道路において、原付は轢いても罪に問われません。
会社の看板を背負ってるトラックが煽り運転するんだから、やっぱり関東は北に行けば行くほど野蛮です。
栃木県に入り、
宇都宮市を「朝だから」という理由で何もせずに通り過ぎ、観光地の那須高原を「コンビニがキレーイ!」で片付け、
関東の旅はものの4時間で終了。
此処から先は「福島県」。ついに東北の旅が始まるのです。
私の友人に福島県郡山市で中・高校を過ごしていたやつが居るのですが、(ネットで知り合ってリア友になりました)
そんな彼、ハンドルネーム「そら」が言っていました。
「宮城以外の東北は関東の人材供給地」
ヤサイ、カラメ、思想マシマシな発言を残していますが、なんとなーく言いたいことはわかる気がします。
東北には仙台以外のパッとした都市がありません。
そんな東北地方を旅していきます。
まずは「白河の関」を見物。よく歌枕になってますからね。
その後は白河小峰城を見学。この城、真夏なのに自販機が置いてませんでした。おかげで干からびるところでしたよ。だから信長の野望最新作でリストラされんだよ
あと、白河市で『横浜家系ラーメン』を食しました。何をしているんだこいつは、と思うかもしれません。しかし、上智大生のDNAにはご当地シャブである『龍馬』を欲する本能が付随しているのでこれは無罪。
福島県郡山市に入りました。郡山市は名実ともに「福島第一の都市」。東北圏内でも仙台の次くらいに栄えています。
ビッグアイっていう高層ビルも立っていたり、ちょっと前まで警察署のすぐ隣で大麻を販売していたりと、福島第一の、東北第二の都市に恥じない様相を呈しています。
そんな郡山市を何もせずに通り過ぎ、
二本松城を見学し、
福島県は終了。
宮城県に入ります。東北1の大都会・仙台はやはりそこらへんの東北とは違いました。
なんというか、ジェネリック大宮駅って感じがして埼玉県民の私からしたら安心する街でした。
仙台では牛タンを食べ、
繁華街のネカフェにて就寝。
8/25 宮城県仙台市~秋田県大館市 306km
おはようございます。
私は早起きして『ジョジョの奇妙な冒険』の聖地巡礼をしました。
その後は仙台城を見学。めちゃくちゃ観光客。
さて、出発します。当面の目標は青森県弘前市。私がこのアリオーゾでの自己紹介欄でも主張している津軽地方の戦国大名、『津軽為信』の治めた地です。弘前城がありまして、そこは日本でも12個しかない『江戸時代から天守が残り続けている城』です。
(弘前の他には姫路城や松本城があります。昔は名古屋城や広島城もそうだったのですが、名古屋城は太平洋戦争期の米軍による空襲で燃えてしまい、広島城は原爆で文字通り『消滅』しました)
宮城県には早々に別れを告げ、岩手県に入ります。所謂『北東北』と呼ばれる地域に入りました。
岩手といえば平泉。私は本来行く気はなかったのですが、せっかく通ったのだから、と平泉の中尊寺にも立ち寄ってみました。
私は仏像にあまり興味はなかったのですが、平泉の仏像にはただただ圧巻でした。浄土というものはかくも美しき世界なのか、としばらく呆然として動けず、ただ拝んでいることしかできませんでした。
その後は一度盛岡に寄って盛岡城を見学。あんまり力が入ってなかった
ここからは弘前までノンストップ。推しに会いたいので。
……と、思っていたのですが。
突然の豪雨!
街灯のない道!!!!!!!
土砂崩れで通れない国道!!!!!!!
……そのため、弘前にはたどり着けず、その手前、秋田県大館市のネカフェにて一泊。ほんとに死ぬかと思いました。
推しに会うためにはこの苦行もまた一興(イッキャオ)。徳川家康は60年くらい色々と耐えたのでこのくらい余裕です。乗り越えていきましょう。
8/26 秋田県大館市~青森県八戸市 162km
朝早くに置き、大館市から弘前まで、奥羽の山々を爆速で駆け抜けます。
そして来ました、ここが陸奥国、本州最果て、道の奥、国道の終着点。
青森県です。
旅人ホイホイである青森県は、いつぞやの「そら」いわく「閉塞感で窒息死する街」。彼は小学校のときは青森県民だったのですが、
「雪嫌いなやつは真っ先に青森を去るし、クラスの10%くらいは地元の社長子息で構成されているから、俺みたいな中流層かつ転勤族はコルシカからパリへ出たナポレオン並の扱いを受ける」
とボロクソに言っていました。私は弘前城行って煮干しラーメン食べたくらいなのでわかりませんでしたが、青森はけっこうそういうところあるみたいです。
西の人たちって、地元に働き口がないからって、わざわざ東京に来る必要はないと思うんですね。九州の人だったら福岡や京阪神、広島や岡山とか。東海道の諸都市は人材の地産地消感がありますからそんなこともなし。
ですが、東北はやはり、働き口がないなら『仙台か東京へ出る』という選択肢しかないように思えます。ですが仙台は東証上場企業が少ない支店経済都市ですし、やはり選択肢としては東京しか残されていないんじゃないか、と。
ちょっと考えてみれば、デフォルメ化された『上京した田舎者』のイメージって、東北の方言を使ってますよね。高度経済成長期からそうなのだろう、と邪推していました。
これから東北はどうなってしまうのだろう、そんな事を考えながら、私は煮干しラーメンをすすります。朝飯をちょっとしか食べてないのと、単純に美味すぎて泣いてしまいました。
はい、難しいこと考えてしまったので美しい十和田湖に行きました。
途中、秋田県をかすったので滝を見ました。
パイとコーヒーでチルしました。何がチルだ。
ちょっと寒かったです。
十和田湖ってやっぱり淡水なんですかね?今度行ったときは飲んでみようかと思います。
そのまま十和田湖を2周し(????)、八戸市へ。
八戸市ではチャッカマンを買いました。
八戸市でやったことは以上です。
いや、ホントに何もなくて……。
やることがなくて本当に困ってて……。
八戸市って何があるんですか……?有識者の方教えてください……。
そのままフェリーに乗ります。航空機が発達し、新幹線が函館まで開通し、苫小牧港が道内最大の港となってもなおフェリーというものには一定の需要があるようで、けっこうな盛況でした。あと大型バイクばっかりで肩身が狭かったです。
フェリーの中にバイクで突っ込みます。
この日はフェリーの中で寝ることになってまして、明日の朝、起きたら苫小牧港に着いていることになります。
と、いうことでそのままフェリーの中で就寝。
文字数が多くなっちゃったので一旦ここで切ります。次回作は……頑張ります。急いで作ります。
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