この春学期、みなさんは毎日お昼に何を食べていましたか?
食堂?セブ地下?キッチンカー?
私はよくほっともっとで買っていました。お気に入りはチャーハン、390円。値段もお手頃で美味しかったです。
そう、5月までは──。
6月の最初の日、いつもと同じように9号館前に買いに行こうとしたら、そこにいつものほっともっとのワゴンはいませんでした。LOYOLAを見ると「弁当販売業者の変更およびキッチンカーの台数追加について」なんていうお知らせが来てるじゃありませんか。一時代の終わりを感じ、哀愁とともに脳裏に浮かんだのは、ほっともっとのおじいちゃんの姿でした。
必ず会いにいく、と心の中で決めました!
そして会いに来た!
- 名前:江畑 博さん
- 勤務先:ほっともっとグリル外神田3丁目店
- 年齢:68歳
- 「ほっともっとのおじいちゃん」として知られる
江畑さんと一緒に、上智に売りに来てくれていた中村さんもインタビューに応えてくれました!
記事後半では聞いてみてわかった、みんなのギモンやウラ話を紹介していきます。
ほっともっと 三大知られざる真実
- 朝のキッチンは戦場だった!
- おじいちゃん高速会計の秘訣
- おじいちゃんが死んじゃった?!
──ずばり、上智でのお弁当の販売を終了した理由は(上智新聞7月号に掲載されていた通り)「温かいものをその場で作り提供したい」と会社が方針転換したから、ということでしたね。
そうです。
これはね、(ほっともっとグリルの)店自体の様子を見てもらえばわかると思うけど前は作りがこんな感じじゃなかったんですよ。(今より厨房が)広くて、だから上智に持っていく弁当を朝作れたりして、今とは弁当の作り方が全然違ったんです。
名前も「ほっともっとグリル」になったんですよね。
──そうそう。なので販売もやめることになって、それが会社(ほっともっとを運営する㈱プレナス)の方針なので仕方がないですけども。理由はこれなので、上智がヤダってわけではないです(笑)。
むしろ行っていればそれなりの売上はありましたし、うちとしては本当は続けても良かったくらいなんですけどね。
いつから上智に来てお弁当を売っていたのですか?
──ほっともっとが出し始めたのは2011年からなので、9年目です。自分が行き始めたのは5〜6年前からで、そのあたりからはずっと行っていました。
最初の頃は今のなんとかタワー……
あ、ソフィアタワーですか!
──あそこの前でやってたんですよ。1人で行ったり2人で行ったり、売り方も色々考えながら、上智の学生さんが買いやすいようにやってました。
へぇ〜。そうだったんですね。
──だから、あそこだけのメニューもあったんです。
焼き肉コンビとか、のりからとか、生姜焼きコンビとかも普通のほっともっとでは売ってないもので、学生さん用に価格帯を調整して作ってました。唐揚げ弁当も5個入りっていうのは上智限定でしたね。普通の店舗では4個か6個なんですけど、特別に値段と量のいいとこ取りのものを用意してました。
昔のメニューだと、のり牛も人気でした。できる範囲で昔のも復活させたりしたいんですけどね……。大量生産が難しくなってしまったので。
昔はもっとキッチンが広かったんですか?
──そうなんです。改装してから厨房が狭くなって、昔は倍以上ありました。
ちなみに私はチャーハンが好きでした。
──ははは(笑)。
チャーハン得意な人があそこにいて、一日何十食もチャーハンを作ってた。藤原さんという人です。
(藤原さん登場)
こんにちは。お世話になりました。
──彼が先駆者ですよ。チャーハンとカツ丼の人です。
あ、そうなんですか。
(藤原さん)そうなんですよ。実は9年前、一番最初に上智に来て売っていたんです。で、またここ数年来ていたりしました。最初と最後にいた感じです(笑)。
(中村さん)昔は服も専用のがありましたね。
(藤原さん)真っ赤な、めっちゃダサいやつ。しかも黒いバンダナをさせられて(笑)。
(江畑さん)真っ赤な車もありましたね。郵便局と間違えられそうな。
(藤原さん)一回郵便局の車の後ろについちゃって。気まずかった(笑)。
知られざる真実 その①
朝のキッチンは戦場だった!
──上智で売っている頃は戦争みたいなもんでね、朝はみんな「時間だよ時間!」って言いながらやってました。お米をたくにしても何回もたかないといけないし、どんなに遅くてもここを11時頃には出ないといけないから、中村さんは7時、藤原さんは8時からきて作ってました。お店の作業をやりながら、のり弁当を1日40〜50個作って、お店の分を70個とか作って、ダーッと並べてましたね。でもおかげさまで、行ったら全部売れてしまうので、やる気にはなりましたね。
たしかにいつも最後は売り切れていましたね。
──上智の学生さんは、最後少しだけ残っているというときに「あ!それでいいです!」って買っていってくれるんだよね。普通の店だったらそういうの絶対ないんです。あれはとてもありがたかったです。
あと、下の方に積んでいたカツ丼が容器がつぶれてしまっているのを売るのはすごく申し訳なかったんですけど、学生さん気にしないで買っていってくれるんですよ。
知られざる真実 その②
おじいちゃん高速会計の秘訣
江畑さんといえばお会計がめちゃめちゃ速いですよね。お弁当を見せるとすぐ「はい、390円」って。
(江畑さん)ははは(笑)。
(中村さん)全部390円っていうときある(笑)。大体が390円だから、横で聞いていて「違う、400円」とかツッコミを入れたりして。
(江畑さん)ずっと「390円〜390円〜」ってね。
(中村さん)割引のときも値段分からなくなったりね。
あ、割引なんてあったんですか。
──去年あたりから、学生さんに還元ということで月に一回くらい50円引きをゲリラでやってました。だからのり弁当は250円になるっていう(笑)。
知られざる真実 その③
おじいちゃんが死んじゃった?!
上智で印象に残っているエピソードはありますか?
──自分が死んでることになってたことがありました(笑)。
ええっ?!(困惑)
──あれはね、中村さんと一緒に行ってるときだったんだけど、自分は車の裏で作業してたんです。それで中村さんが前で売っているときに女の子が「あれ、いつものおじいちゃんどうしたの?」って聞いてきたの。そうしたらもう一人が「死んだんじゃね〜〜」って(笑)。
あははは(笑)。
(江畑さん)一回ころされたよ(笑)。
(中村さん)笑いを堪えるのに必死でしたよ〜。裏にいるんだもん。
(江畑さん)そっか、自分死んじゃったんだなあ〜って。
おっかないですね。
(江畑さん)まあ冗談でしょうけどね。
(中村さん)それくらい印象に残ってるってことですね。
ですね、みんな覚えていると思います。
──実は先生にも話しかけられたことあるんです。「うち学食が少なくて、いつもありがとうございます」って。結構先生も毎日買いに来てくれたりしてました。「どこかで見覚えあるなあ」と思ったらテレビに出てた先生だったり、白衣を着てる先生とか……、毎日来てくれていましたね。
毎日やっていると、学生さんでも「あ、この子は焼き肉コンビのお姉ちゃんだ」とかって覚えちゃって、もう手に持って待っているときもありました(笑)。最後の日にはあいさつしに来てくれていました。まあ、あの日は焼き肉コンビがなかったので唐揚げを買っていってくれました(笑)。
心温まります。
──やっぱり上智の学生さんは優しかったですね。ザビエル祭のときに言われてなくて来ちゃったら誰もいなかった!みたいなことはありますけど、売る側も楽しくやらせてもらってました。こっちとしても終わっちゃうのは寂しいですけどね。終わるときには工事のお兄ちゃんたちにも「どこでお昼食べればいいんだよ」ってすがられちゃったり。
最後に上智生に向けてメッセージをください!
──今までの、ほっともっとの時代にありがとうございました。
みんな優しくて、にこにこしていて、あそこで学生同士が喧嘩しているのは見たことがないからね。本当に色々ありがとうございました。
毎年みんな入れ替わってゆくけれども、いい思い出を作っていってください。その中にほっともっとも少し思い出に残っていたら嬉しいですね。
みなさんありがとうございました!
上智でのお弁当の販売は終わってしまいましたが、「ほっともっとのおじいちゃん」の江畑さんはじめ、みなさんお元気でした。温かな雰囲気で楽しくお話させていただき、ずっと私たち上智生のおじいちゃんのように見守ってくれていたように感じました。8年以上、上智生の胃袋を支えてくれていたほっともっとのみなさんに感謝です。朝の厨房があんなに大変だったなんて知らなかった……!
上智史の1ページとして、私たちの思い出の中に残していきたいですね。
おじいちゃん、これからもお元気で!
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