SOPHIA KYOUIN COLLECTION #2

こんにちは!

春休みボケで前の学期の授業をすっかり忘れてしまった学生のみなさん、もうすぐ新学期ですよ!

気温も暖かくなってくると、授業でウトウトしちゃうなんてことも、残念ながらよくありますかね。

でも面白い先生の授業では目が冴えちゃいますよね。

そう、授業の魅力と先生の魅力は比例している!

今日はみなさんのやる気UPを応援して、魅力的な先生方を紹介するこの企画をお送りいたします!

 

SOPHIA KYOUIN COLLECTIONとは?

この企画「SOPHIA KYOUIN COLLECTION」では、

1.上智大学の学生の推薦をもとに、

2.大学の素敵な先生方を調査し、

3.取材を通して先生の専門分野に対する信念に触れ、

4.先生の分析結果をイコライザとしてまとめ、

5.みなさんの学習に対するきっかけづくりをお手伝いします!

ね、面白そうな企画でしょう?

待望の第2回目にご紹介する先生は文学部史学科北條先生です!

 

#2 北條勝貴(ほうじょう かつたか)先生

 

【プロフィール】

上智大学にて史学の修士号を取得。

現在上智大学准教授。

2018年度の秋学期には水曜日の1限日本史の授業を担当。

 

北條先生に今回いろいろな質問に答えていただいたので、ご紹介します!

(撮影:上智大学写真部 協力アリオーゾ部員:たかはしはるな)

 

先生の専攻は日本史……なのでしょうか?

「日本史」というのは制度上の枠組みに過ぎない

大学の制度としては日本の古代史となっていますが、最近の研究では、あまり日本史のことをやってないです。もともと大学の学問の枠組みに従ってやるのが嫌いなんです。何か知りたいことがあったら、その知りたい対象をどれだけ自分の関心に従って明らかにしていくか、そのために必要な方法があって、それに沿ってやっていくわけですね。つまり、知りたい対象に従って方法が決まるべきなんですけど、日本の大学では、まず歴史学やら歴史哲学やらの枠組みが先にあって、それを通して対象を見ることを要請されるので、その中で対象の見方や方法って決まってしまうじゃないですか。それは本当の学問ではないなと思っています。

一応は大学の機関に所属して教育をしなければならないので、日本史という部門のなかでやっているし、自分もそのなかで研究者として育てられてきてはいるけど、自分がやっている学問は「日本史ですよね?」「日本の古代史ですよね?」って聞かれるとちょっと違うんですよね。

 

── 本当の意味での学問とは「知りたい対象を明らかにするための手段」でなくてはならないんですね。

 

今はどのようなことを主に研究なさっているのですか?

自然環境と関わりながら生きる人間の解釈の歴史を追う

専門は一言で答えると東アジアの環境文化史です。自然環境と人間の関係について、東アジアをフィールドに研究しています。人間が自然環境に対してどういう働きかけをして、例えば狩猟をしたりとか、農業を営んだりとかしているわけですけど、そこでどういう文化が築かれているのか。

狩猟するにしても技がたくさんあるわけですよ。自然の観察を通して、たとえば、季節によって生息域を変える動物であったら、その移動の際に罠を仕掛けたり、待ち伏せをすれば効率的に獲れるとか。シカは川を渡っているときに動きが鈍くなって獲りやすいとか。囮の鳴き声を使って、上空の鳥をおびき寄せるとか。そういう文化や歴史が様々にあって、さらにそういった知識や技術だけではなく、たとえば狩猟の対象となる動物に抱く人間の色々なメンタリティーってあるわけですね。たとえば現代人が狩猟の現場で動物を獲るっていう場面に遭遇したとすると、まず初めに「かわいそうだな」とかって感じると思うんですけど、でも、獲らないと自分たちが食べられないので死んでしまう。だから残酷も何もない、殺すのがあたりまえなわけです。けれどそれだけじゃないんです、人間の不思議なところって。

生きるためなら仕方ないでしょっていうだけじゃなくて、食べるために殺すという行為に後ろめたさを覚えたり、自然に借りを作ったという負債感が出てきます。そういったものを自分のなかで正当化していくために、たとえばトナカイの肉であれば、昔トナカイの精霊と人間とが契約をして、毎年一定の量の肉を自分たちに送ってくれるように取り決めをした。その結果として我々は獲ることを許されていると考えるんですね。そういう神話も含めて、自然と人間の関わり合いが、古代から現在にいたるまでどう変遷してきたかいろいろ研究しているわけです。だから狩猟は本当に一つの例に過ぎないですけど、農耕や宗教、学問、最近では医学なども研究しています。

また自然環境と人間との関係の文化について、世間で言われていることには嘘が沢山あって、そのことでいわゆる日本人とか日本文化を正当化したり、全世界に対してよりよく見せたりすることがたくさんあるので、歴史研究をきちんとやって批判していって、事実はどうなんだと考えていくのも、環境文化史の中の重要な役割の一つでしょうかね。

 

── 自然環境と人間との関わりを通して、単なる「行為の積み重ね」という以上の意味での歴史と文化を生みだされているんですね。

 

環境文化史に興味を持たれたきっかけは何ですか?

環境から見た人間の歴史はどのような世界なのだろうかと考えた

自然環境に関して関心はあったんです。ですから、小学校とか中学校とかで読む文学は動物のものが多かったですし。ただ、歴史研究として自然環境に取り組もうと思ったのは、もともと日本の古代史をやっていたからです。

中学高校で日本の奈良時代をやっていると、行基という僧侶が登場しますよね。行基は「国家仏教」といって、仏教が国を守るために使われていた時代に民衆救済をしていった僧侶なんですけど、彼の民衆救済の在り方は、交通施設だとか灌漑施設だとかを民衆と協力しながら建設していって、民衆生活を向上させようとするものだったんですよね。

彼が開発をしていったことはいろいろな説話や物語の形になって残っていて、たとえば行基が大蛇と対決して、その大蛇の力を抑制することで開発を達成させていっただとか。正確には蛇に求婚された女性を戒律の力で助けるのですが、そういった類の話がいろいろ出てくることになったんですよね。そういった蛇とかは自然を象徴する神霊なので、言ってみれば神殺しのような形になっているんです。『もののけ姫』みたいな状態ですね。

人間が生きるために自然が破壊されていくということは、ある意味で、それまでは自然環境を象徴するものとして崇められていたいろいろな神様が、仏教の主導する開発によって殺されていったり、退治されていくことを表しているんです。このような説話が沢山出てくるんですよ。

人間の視点に立ってみると、開発が沢山行われて民衆生活が向上したというふうになるんだけど、自然環境の立場に立ってみると、これまで人が入っていなかった地域がどんどん人間のために開発されていって、生態系が破損されていくっていう状態になるんですよね。つまり二つの見方が成立するというわけです。

歴史って概して人間のためのもので、人間視点でしか書かれていませんから、それを少し別の視点から見てみるとどんな世界が見えてくるのだろうかという風に考えたことが、環境文化史に興味を持ったきっかけですかね。そこからだんだんと環境の世界、殺されていくあるいは伐られていく動物とか木とか、そういうものの視点に立って人間の活動を見直してみると、どういう風な歴史が見えてくるのかなって考えてきたんです。

 

── 人間のものだけではない世界に目を向けることで歴史の深みが増しますね。

 

お寺のご出身にもかかわらず上智大学に進学したのはなぜですか?

仏教とは全く違う視点を知りたかった

僕が通っていた高校に初めて上智の推薦が来たんですよ。僕が高校の首席だったものですから、簡単に入れました。笑 それで上智に入ってきたんですけど、その時にね、やっぱり上智に行きたいと思ったのは、まず宗教に関してすごく関心があったからなんですね。お寺出身なので。ただね、仏教系の大学には絶対行きたくなかったんですよ。仏教系の大学に入ってしまうと、仏教に関していわゆる護教的と言うんでしょうかね、教えを守るような、そういった目線でしか見られないだろうと思って。で、キリスト教のなかに入っていったら、全く違う観点を見せてくれるんじゃないかなと思ったので、自ら進んで上智に入りたいと思いました。

そこで入ってビックリしたのが、今は少なくなっちゃいましたけど、当時はイエズス会の神父さんで仏教が分かる人がいて、神父さんが仏教を教える授業をいくつも開講していたんです。それがもう本当にビックリしてたとえば、僕は浄土真宗のお寺出身なんですけど、浄土真宗の大学っていうとたとえば龍谷大学なんですが、龍谷大学のなかでは絶対にお坊さんがキリスト教を教えていないと思ったんですね。それでね、やっぱりキリスト教すごいなって思ってね。

で、上智に入っている間にキリスト教はかなり勉強しました。キリスト教の授業はわりと取って、神父さんともいろいろ話をして、神学のほうの研究室にも遊びに行ったりして、本当に学部の時代は宗教とか、いろいろな文化とかむさぼるように勉強していました。

今もお昼ご飯とかほとんど食べないですけど、学部生のときもお昼に使うお金を節約して本を買っていました。その頃は物価も安くて、いまソフィアタワーが建ったところ、今の2号館の向かいのあたりのところに上智会館という建物があって、1階が学食で、そこのカレーが280円くらいだったんです。だからできるだけどうしてもお腹が空いてしょうがないときは安いメニュー、おそばとか確か150円くらいじゃなかったかな、本当ゴムみたいなそば。笑 できるだけ安いもの、栄養とか関係なくお腹に入ればいいという感じで。で、お金を貯めて、本を買っていましたね。全部読んだかどうかは別ですけどね。

 

── 現在の学食のおそばは柔らかいですよ!

 

キリスト教のことを学んでいく中で、一番影響を受けたことはありますか?

神の捉え方には柔軟性が肝要と痛感した

高校生だった頃、仏教のことを勉強しながら、価値観に関してはそれなりに多様性、柔軟性があると思っていたんです。でも大学に入学して、キリスト教を学んで一番最初に感じたのは、反発だったんですよね。最初の頃は聖書などを一生懸命勉強しても、ユダヤの神はなぜこんなに抑圧的なんだろうとしか思えなかった。それに関して神父さんに話をしに行くと、「抑圧的だって君が感じるのは君がキリスト教徒ではないからで、キリスト教の内部に入ってきて神というものを理解すれば、これが救済の方法なんだと理解できる」っていうふうに言われたんです。その時には納得できなかったんですけど、やっぱり外側からの視点って内側からの視点と遠くて、内側からの視点を理解するためには、もっといろんなことを勉強して心や考え方が柔軟にならないとだめなんだな、ということを痛感しましたね。

そのあと文化人類学とかに関心を持って、中国の少数民族についても研究しましたけど、われわれの近代的な価値観からすると非合理的なこと、理解できないことが多いんですね。そういうときに安易に否定するのではなく、もしかしたら自分たちの方が間違っているのかもしれない、もしかしたら自分たちの方が閉鎖的な考え方で凝り固まっているのかもしれない、と常に自分のことを相対化して見られるようになったのは、キリスト教経験があったからかもしれないですよね。

 

── キリスト教を学んだことによって、むしろ仏教をとらえる視点も広がったんですね。

 

全学共通科目の日本史を学ぶ意義は何ですか?

高校までに教えられている日本史を批判的にとらえる

全学共通の日本史は教職課程の科目でもあるので、将来教員になっていく人が少なからずいるということを考えたら、やっぱり「教育」というものをきちんと考えて、日本史の授業を成り立たせなくてはいけないと思ったんです。そういうことを考えて設計した授業が、現在の全学共通の日本史なんですよ。

ですから、まず日本史という枠組みが日本の中でどういうふうに作られていくのか、そして教育や研究における日本史の文化が、明治維新の前後から現在に至るまでにどういうふうに作られてきたのかということをお話ししています。歴史は事実の積み重ねのように考えられていますが、それ自体がある制度のもとで切り取られ、意味づけされている。その枠組みの中で今の研究や教育が成り立っているんですよ、ということを学び、自分が中高で習ってきたことを相対化できるようにするんですね。

簡単に言ってしまうと、国家が国民を作るための歴史教育、つまりナショナル・ヒストリーということになりますが、今までどういう枠組みのなかで、どういった目論見を持って教育されてきたのかを自覚できるようにする。その上で、皆さんが習ってきた高校の日本史と研究の世界には一体どういう違いがあって、なぜ違うのかということを、中世・近世・近現代でいくつか事例を挙げながら説明していく形にしています。教科書が、実在性について議論が絶えない〈聖徳太子〉を掲載し続ける背景には、帝国日本が大陸侵略を正当化するために利用した過去がある、とかね。

また、メタヒストリー*に関する授業も開講しています。なぜ人類が歴史を必要とするのかを古代から現代まで話すっていう。ですから、僕が教える日本史の内容には、わりあいとショッキングなことが結構あるんじゃないかなと思います。

僕はある意味で批判精神の塊みたいな人間なので、日本はこういうふうに立派に築かれてきて、きれいな世界ですよ、っていう幻想を、いかに壊すかしか考えていないんです。いわゆる「日本人」「日本文化」というものは自然とずっと共生関係にあって、自然に優しい文化、民族で歩み続けてきましたよ、という「物語」がいかに嘘か。お米は、日本列島の豊かな自然環境があって、それを育み守りながら作られてきたものですよ、という常識がいかに嘘かを明らかにしていく。近現代の戦争とかもね。嘘で固めた閉じられた幸福感には、未来はありませんからね。

*メタヒストリーについて、詳しくはこちら

北條勝貴(2017)「超域史・隣接学概説の射程―上智大学文学部史学科のささやかな試み

【特集1】リポート笠間63号より公開, 笠間書院

 

──「どう伝えるか」ということも歴史なんですね。

 

学生の間にしておくべきことはありますか?

「わかりやすさ」と戦ってほしい

文科省は「わかりやすさ」を推奨しているから学生もそれを重視するけど、世の中分かりやすいことなんて本当はなにひとつなくて、解決できない、一生付き合わなきゃいけない複雑な問題で満ちている。だからこそ、「わかりにくい」問題に対してずっと考えていける体力が必要なんです。自分が一生関わっていきたい難問に学生時代にきちんと出会えていれば、それはこれからの人生の財産になると思う。それが第一ですかね。

 

── 「わかりやすさ」に負けないような学生生活を過ごしたいものです。

 

番外編:先生のプライベートについて

ここからは、取材班がどさくさに紛れてお聞きした先生のプライベートについてご紹介します!

Q.奥様も歴史の研究者だということですが、どのように出会ったんですか?

えっとね、穢れた関係です。

 

ケガれた関係……?

 

大学院の終わりくらいのときに国文学と歴史学と宗教学の研究者が共同で、日本文学に出てくる「穢れ」を研究しようというゲリラ的な研究会を作ったんですよね。そこで今の奥さんになる人と知り合って、二人で事務局をやっていたので、そういう縁で結婚したという感じですね。

 

おお……素敵ですね!

 

国会前の抗議行動でデートした、ということもありました。

 

なんて意識の高いカップルなのでしょう……。

 

Q.研究者同士の結婚生活とはどのようなものですか?

研究者同士の結婚はね、ある意味で楽なんですよ。研究者同士で結婚しないと相手に理解がなかなか得られないので、難しいんですよ。

 

どのような面で理解が得られにくいんですか?

 

例えば、長期休暇期間は大学には出てきていないけど、家にいて、でもその期間って研究をしなくちゃいけなかったりとか、色んな原稿依頼があって原稿を書かなくちゃいけなかったりとか、あるんですよ。でも一般の人だと「遊んでいる」とか「休んでいる」って思われるんですよね。

 

確かに、大学の先生って好きなことを仕事にしているイメージが強いですしね。

 

お互いに研究者なので、研究者がどういうものか分かっているから、日常生活のなかでそういったギクシャクっていうのは無いわけですね。でも逆に言うと、そこに甘えてしまって、日常生活がただれていくんですよ。

 

ただれていく……とはどういうことでしょうか。

 

家事は分担してやっていますけど、忙しい時期になってくると両方とも何もしないとか。

 

お互いに研究で手一杯になっちゃうんですね。

 

いけませんね。

僕は主に掃除を担当しているので、家の中がひどい状態になっています。

 

Q.お子さんはいらっしゃいますか?

いないですね。子供がいないから夫婦仲が良い状態が続いているんだと思います。ただ、子供が生まれたら生まれたで、それに適応して生活が変わっていくんだろうなとは思います。

 

ただ、お忙しいんですよね。

 

子供は嫌いじゃないんですけど、学生の面倒をみるだけで手一杯なんですよ、ほんとに。手を焼かせるんですよ。ほんとにもう。

 

お忙しそうですね……。

 

Q.研究と教育を両立させるうえで大変だと思うことはありますか?

僕は研究と教育を分けてはいないんです。ですから研究だけやっていればいいとか、教育だけやっていればいいとか、そういった考え方は一切無いです。特に大学の教員は研究者であると同時に教育者でもあるので、そのことはきちんとやらなければならないと思っています。

 

とてもクールですね。

 

ですが、わりあい学生に感情移入してしまう質なんです。

 

あ、クールではないですね。

 

だからね、自分で勝手に学生との関係が重くなっちゃうんですよね。放っておくと重くなるので、自分を抑制して感情移入しないように、冷たく振る舞っているんです。これはなんだろう、僧侶だからかもしれない。

 

それは大変ですね。

 

講義をしていて、学生とね、目線が合ったりすると、その人のことを考えちゃうんですよ。そうすると話が途切れる。で、何を話そうとしていたか分からなくなっちゃうことがあるので、講義中はほとんど学生の顔を見ません。

 

それでは、大きい授業の方が楽なんですね。

 

そうですね。10号館の講堂でほとんど顔は合わないですし、全学共通は楽ですね。ゼミとかは重い。ほんとにね。

 

ゼミでは学生と目を合わせないわけにいかないですよね。

 

そうですね。なんかね、学生がいなくなればいいって思うことがあります。

 

えっ……!

 

教育者としてはきちんとしなきゃいけないっていうふうに考えていても、学生との関係が自分のなかで勝手に重くなるので、「ああ学生がいなかったら楽だな」とは思います。そういう矛盾はあるんですよね。だからいつも学生に対しては、お前らのことなんか嫌いだよって言っています。

 

先生はツンデレなのかしら……。

 

Q.映画がお好きと伺ったのですが、どのようなジャンルがお好きなのですか?

純粋なエンターテイメントから、難しい作品まで色々好きですよ。例えば、スター・ウォーズとか……。

 

全般的に観ていらしゃるんですね。

 

でもやっぱり、いわゆるハリウッド系のエンターテイメントなんかはどんどんDVDも出ますし、劇場にはミニシアター系の作品を見に行くことが多いですね。今は忙しくてなかなか見に行けないのが苦しい、って感じですかね。

 

本当に映画がお好きなんですね。

 

僕ね、学生のとき自主映画を撮るほどの映画マニアだったので、年間まあ100本にはいかなかったかな、何十本という映画を見ていました。

 

自主映画というのはどういうものを……?

 

なんでしょうか、観念的なものですね。若気の至りです。

 

詳しい内容は聞かないでおきますね!

 

いかがでしたか?

史学科の学生だけではなく、他学科の学生からも人気を集める北條先生を企画長である私が分析をした結果、このようになりました!

 

 

インタビューを通して、奥様と非常に仲が良いところや、教育的観点を非常に重視していらっしゃるところが印象的でした。

北條先生、お忙しいなか取材にご協力いただいたきありがとうございました!

世界史を選択した私も、改めて日本史を学びたくなってきたところで、今日はおしまいです。

 

次回にも乞うご期待!

 

この企画では、インタビューする先生を学生の推薦で選定しています。

みなさんの周りにいらっしゃる素敵な先生について、アリオーゾのメールフォームまたはtwitterfacebookよりご連絡ください!全力でインタビューに参ります!

上智大学の先生であれば、常勤・非常勤どちらもOKです!

自薦・他薦は問いません!推薦お待ちしています〜!

 

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投稿者: さあや

全身ピンク色の服を身につけたガリ勉。 こう見えて社会福祉学科で、常に福祉に関することを考えている。 通称ピンク番長。後輩からは「ピンク先輩」と慕われているらしい。
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